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1964年東京五輪でも民泊 おもてなしの心で歓迎

投稿日 : 2019年11月19日 | 最終更新日時 : 2019年11月19日

[毎日新聞]

2019/11/15

観光客らが一般住宅に有料で宿泊する「民泊」は、1964年の東京五輪の際も存在していた。民泊は昨年6月に新法が整備され、聞き慣れた言葉だが、半世紀以上前の同五輪でも、民泊の言葉を使っての宿泊サービスが行われていた。

1964年の東京五輪開幕を前に開業したホテルニューオータニ=東京都千代田区で1964年9月1日撮影

 当時の毎日新聞によると、五輪開幕前に都内にはホテルニューオータニなどいくつかのホテルが開業したものの、期間中は旅行者用のホテルや旅館などの不足が見込まれた。そのため、東京都はローマ大会(60年)など過去の大会の事例にならい、ホームステイ型の民泊を活用することにした。都が窓口として設立したオリンピック補助宿泊施設事務所が中心となった。宿泊希望者に民泊のあっせんを行うため、1500人分の民泊の提供者を2回に分けて募集すると、約1000軒の申し込みがあった。申し込み条件は、都心から1時間以内の距離で水洗トイレ、風呂、シャワーを完備し、家庭内に外国語会話ができる人がおり、ハムエッグ、ベーコンエッグ、トースト、コーヒーの朝食が用意できる――などだった。現地調査などを経て588軒に絞ったが、辞退者もあり最終的には約500軒(約1000人分)になった。

 一方、同事務所は105カ国の国内オリンピック委員会(NOC)に案内書を送るなどして宿泊者を募った。宿泊費は1人1泊(朝食付き)5ドル(1800円)で、同事務所が宿泊先を決めて、提供者の承諾を得て申込者に通知。宿泊費は同事務所を通じて提供者に支払われた。申し込みは米国や英国、豪州などからあり、五輪開幕時には約280軒600人に達した。看護師や教師、会社役員などに、ホテルより日本の習慣の中で生活してみたいという希望が多かった。年金をためて来日した人もいたという。

 ニュージーランドから来た52歳の独身女性は、故郷で乳牛や鶏、羊などを飼育していたが、農場と牛を売って費用を捻出。東京に2週間滞在し、3カ月かけて全国を回る予定を立てていた。滞在中、洋食を準備していた民泊提供者に「おみそ汁、お新香、おすしでも、みんなと同じものを食べさせてほしい」と訴えた。手違いで五輪入場券を手に入れることができずに「テレビを見ます」と言っていたのを気の毒に思った提供者が、親類から譲ってもらった入場券を用意するととても感激していた。さらに、歌舞伎見物にも招待された。女性は「日本の温かい家族の姿を見て、その一人になれたことを感謝しています」と民泊利用の感想を述べた。提供者は「言葉が分からなくても気持ちの触れ合いさえあれば通じる」と語っていた。他の民泊家庭でも観光地の案内や浴衣体験などで歓迎した。64年の民泊は草の根の国際交流の場となり、アットホームでおもてなしの心があふれていた。

 来年の東京五輪・パラリンピックに向けて、政府は昨年6月に住宅宿泊事業法(民泊新法)を施行した。家主は都道府県などに届け出ると、年間180日以内の民泊営業が可能になった。利用希望者と家主を結びつけるのは主にネット上の仲介会社の予約サイト。宿泊先の鍵の受け渡しは仲介会社と提携した大手コンビニエンスストアの店舗で行い、民泊利用者が来店することで売り上げ増を目指すなど、現在の民泊はビジネスライクになっている。【関根浩一】

関根浩一

東京本社オリンピック・パラリンピック室委員。1985年入社。東京本社事業本部、千葉支局、成田支局、情報編成総センターなどを経て、2017年4月からオリンピック・パラリンピック室。サッカー観戦が趣味でこれまで多くの日本代表戦に足を運んでいる。最近はスコッチのソーダ割りを飲みながらボサノバを聴くのが楽しみ。