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東京五輪まで2年/2 「民泊」交流半世紀

投稿日 : 2018年7月25日 | 最終更新日時 : 2018年7月25日

毎日新聞 – 2018.07.24

http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20180724/ddn/041/050/010000c

横浜市南区の丘陵にある閑静な住宅街。前回の東京五輪が開かれた1964年10月、当時はまだ緑豊かだったこの場所に、身長180センチを超す元ボクサーが夫人を連れ立って民家を訪れ宿泊した。夫フランク・リトルさんと妻アルビリタさん(ともに故人)。「当時は外国人がまだ珍しい時代。近所の人も驚いていた」。そう懐かしむのは、受け入れ先だった歯科医の林正三さん(88)だ。2020年東京五輪でも活用が期待される「民泊」は半世紀前の祭典でも導入された。

 リトル夫妻は当初、東京都内の別の家庭に宿泊するはずだったが、フランクさんがナイジェリア系米国人だったことを理由に直前になって拒まれた。競技会場から遠くなったものの、リトル夫妻は林家が受け入れてくれたことを大いに喜んだ。約20日間の滞在中、リトル夫妻は日本語のあいさつを覚え、近所の人たちとも交流した。受け入れ家庭は朝食にパン、スクランブルエッグ、コーヒーの提供が求められたが、元軍人で日本に駐留経験のあったリトル夫妻はご飯とみそ汁を好んだ。アルビリタさんは台所に立ち、ちらしずしも料理した。五輪観戦の合間にはさまざまな経験をした。神社に赴くと、フランクさんはおみくじに大喜びして、茶道を体験する際は正座に四苦八苦した。

 米西部シアトルに住むリトル夫妻の帰国後も交流は続き、70年の大阪万博も両家で行った。結婚式も互いに日米間を行き来して祝った。当時4歳でフランクさんにかわいがられた長女の真実さん(58)は「やさしいおじいさんみたいな人。まるで米国の親戚のようだった」と振り返る。

 今では交流の中心は子どもたちの世代となり、20年にはリトル夫妻の娘ビビアンさんや、その家族が来日する予定だ。林さんは「あと2年は何が何でも生きないと」と笑う。

 今年6月15日、民泊の安全性を高めるためのルールを定めた「住宅宿泊事業法(民泊新法)」が施行された。2年後は宿泊先不足の解消に期待される。細かな制約を課す自治体もあり、施行時の届け出数は全国で3728件と伸び悩んでいるが、ある民泊仲介業者は「需要は間違いなくあり、数は必ず増える」と分析。外資のほかコンビニなど他業界からも、民泊関連事業への参入が相次いでいる。

 林さんは現状に懐疑的だ。「当時はもうけようというより、文化を共に学ぼうという感じ。部屋を貸すだけでは意義は乏しい」。半世紀前の民泊が「交流型」なら「ビジネス型」の今の民泊が2年後に何を残すのか。世代と国境を超えたレガシー(遺産)は、民泊の原点を問いかけている。【倉沢仁志】=つづく